こころがぴょんぴょんするんじゃぁ^〜〜〜〜
          サブカル厨乙wwww
 
キェェェアァァァシャベンナァァァァ!!!!                                     キェェェアァァァシャベンナァァァァ!!!!
イイハナシダナー( ;∀;)イイハナシダナー( ;∀;)イイハナシダナー( ;∀;)イイハナシダナー( ;∀;)
 
                今北産業                もっと評価されるべき
 
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                                 歪みねぇな
 
                              ンアッー!ンアァッーー!ンアアア...           ンアッー!ンアァッーー!ンアアア...
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                                 服着ろよ 服着ろよ
 
         今北産業                                       もっと評価されるべき 
 
       8888888888888888888888888888888888888888888888888888888         8888888888888888888888888888888888888888888888888888888
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パンツ脱いだけど何が始まるんですか もっと評価されるべき
 
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日本屈指の観光名所として知られる浅草。連日観光客が押し寄せ、わびさびを体感するため東奔西走を繰り返している。浅草の看板でもある雷門、浅草特有の風情のある街並みとして知られる伝法院通り、夏には屋形船に揺られて花火を眺めながら納涼といったのもまた一興だろう。やはり、浅草の魅力というのは伝統に尽きるのだろうか。


今回、私が伺った話によると浅草の魅力とは意外性である。上で述べたように赴き深い建造物や嗜みがあった上で、一見そこにそぐわないものもある。少し首を伸ばせば日本一の高さを誇るスカイツリー、なんともシュールなデザインのスーパードライホール、まるで平屋を積み木のように積み上げたかのような外観の浅草文化観光センターなど。和を基調とした中に、やけに現代的な要素が散りばめられている。クラシックとモダンの調和とでも言おうか。


さらに伺った話によると、スカイツリー完成前は浅草に今ほど多くの外国人観光客は居なかったという。スカイツリーの完成に伴い、多くの外国人観光客が浅草に訪れるようになったそうだ。そこから推測できることは、この浅草の新たな魅力にもっとも惹かれていったのは外国人観光客だったのかもしれない。言わずとしれたクラシカルさに加え、モダンな建造物の裏には浅草の古来から培ってきたものづくりの精神や高い技術力が見え隠れしていると思うと、ここは本当にクールな観光地と言えるだろう。


今回のキーワードはクラシックとモダン。我々が取材したショップは、この二極の調和をこの上なく体感できることだろう。おもちゃ屋とカフェという二つの顔を持つ当ショップはただのおもちゃ屋ではないということだけはあらかじめ言っておこう。




洗礼された外観だけを見ると何かのアトリエかと勘違いしてしまうかもしれない。外から中の様子はほぼ見えない。好奇心旺盛な人ならば入ってみたくなるだろう。そして、入ってよかったと思うことだろう。入り口の立て看板には抽象的なマグカップの絵と当ショップ名「空想カフェ」の文字。ダイオーちゃんという名前のカンガルーの置物は塗装が所々剥がれており、年季が入っている。




店内に入ると、まずこの空間の芸術性の高さに驚かされる。一つひとつのアイテムに個性があり、店主のこだわりを感じる。一切の妥協がない。椅子一つにしろ、機能的かつユニークなデザインだ。奥で作業をしているのが店主である、神谷僚一氏である。




神谷氏の趣味の一つにバイクがある。神谷氏はバイクにしろなんにしろ、機能性よりデザインの美しさで選ぶらしい。それの方が長続きするという。そして前まではApple製品も好きだったのだそうな。空想カフェのインテリアとしても昔の丸みを帯びた初期のiMacが置いてある。やはりこれもデザイン性と当時一般的に流行っていなかったという理由で購入したのだそうだ。




ここにもApple製品が。




棚には、レトロなおもちゃと思わずジャケ買いしてしまいそうな表紙の本。アメリカのモダニズムデザインについての本。未来派と呼ばれる20世紀初頭の前衛芸術運動の本。ダダイズムについて書かれた本の側には、ウルトラマンのキャラクターのダダが佇んでいる。なんとも洒落がきいている。この棚には、神谷氏の関心と遊び心が詰まっているのではないだろうか。




このカフェのメニューは4つしかない。ブラックコーヒー、ほうじ茶ラテ、ミルクティ、そして塩サイダーだ。以前にコーヒーをいただいたことがあるのだがコーヒーはなんとも小洒落たコーヒーカップに注がれて出てきた。それは土星カップといい、土星の環を模したリングのようなものが側面から飛び出している。そしてそこに小さな可愛らしいお煎餅がのって提供される。なんともユニークなこの土星カップは空想カフェのオリジナルデザインだ。肝心のコーヒーの味はというとカップに引けを取ることなく格別。


今回注文した塩サイダーもこれまた三脚のユニークなグラスと一緒に提供されて、ここでもまた感動した。つくづく何か何まで神谷氏のセンスの良さがうかがえる。一口、飲んで見ると炭酸が細かく、締まりのある甘さで上品な味わいだ。ラベルのデザインも秀逸。なんでも、神谷氏はサイダーにはまっていた時期があったそうで、全国の数々のサイダーを飲んできたという。その中でもやはり塩サイダーが一番しっくりきたというのも納得できる。




最初にも述べたが、この空想カフェには二つの側面がある。一つは入ってすぐにお目にかかるであろうノスタルジックでありつつモダンに設計されたカフェスペース。もう一つは、これぞレトロと言わんばかりのおもちゃ屋、「空想雑貨」コーナーがある。中に入らずしてもわかるようにアンティークトイがこれでもかとところ狭しに並べられている。ペコちゃんとサトちゃんが両手を広げ、いらっしゃいと言わんばかりの入り口をくぐると。




先程のモダンな空間と打って変わり、レトロそのものである。それはもう、タイムスリップでもしたかのよう。ここにあるアンティークトイには統一感があり、全てが1960、70年代に浅草で生産されたものだという。古ければ何でもいいというわけではないのだ。この理由については神谷氏の著書「ガンタマ」に詳しく記載してある。一部引用すると「すべてをやらない強さ。」これが空想雑貨としての強みなのだ。




そして、もちろんおもちゃ屋であるため、ここのおもちゃは購入可能だ。よく売れるのはメンコなのだそうな。なんでも神谷氏、メンコマスターとしてNHKテレビにもレギュラー出演したことがあるのだとか。




今ではすっかり見ることがない黒電話に、ミッドセンチュリーな丸テーブル。可愛らしいお人形さんとティーブレイクを楽しむことができるこの席は、お一人様専用の予約席だ。この席で、おもちゃに囲まれながらコーヒーを嗜みながら空想に耽るのなんて、乙な楽しみ方ではないのだろうか。




カフェとおもちゃ屋を隔てる壁にぽっかり空いたこの大穴は「時の窓」という。何とも味わい深い造形美とネーミングセンスに脱帽だ。少し引いたところから時の窓を除くと、今昔を一度に味わうことができる。




この時の窓のコンセプト。店主曰く「クラシックとモダンが交流できるように」とのことだ。そしてそこには、「コーヒーのある生活」のようにクラシックなおもちゃがもっと身近にあってもいいんじゃないかという思いもあるという。


空想カフェ店主 神谷僚一氏インタビュー



「最初おもちゃ屋をやるなんて考えてもいなかった」

空想カフェを語る上で、まずはここの歴史からお話したい。神谷氏が当ショップを開いたのは、1988年。今のビジュアルがやけにモダンであったが故に、こんなに老舗だったということには驚かされた。お店を開くきっかけとなったのは、神谷氏が今まで勤めていた広告の仕事を辞めたタイミングである。ちょうど、これから何をしようかと考えていた時、当時、神谷氏には美術家やイラストレーターの友人がいたということもあり、ギャラリースペースを開こうかと考えていたり、またオブジェを作って販売をしようかと考えてえていたのだそうな。神谷氏によると、要は自分のスタジオのようなものが持ちたかったのだという。


また、それらは神谷氏の趣味を延長したようなもので、当時はそこまでおもちゃに固執はしていなく、おもちゃはあくまで神谷氏にとっての、数ある趣味の一つにすぎないという。そうして神谷氏は雑貨屋を開くことにした。というのも*雑貨屋を装っていればどんな表現でも可能と思ったからだそうな。


「ファンタスティックな商品を開発したいなと思ってた」

これは、いかにも神谷氏らしい台詞である。これは神谷氏が最初にお店の名前を決める時から思っていたことで、この考えを元に今の「空想」というワードを思いついたという。 「空想」はファンタスティックなワードでありながらも、ハイカラすぎない感じがまた空想カフェらしいと思える素敵なネーミングだ。そうして当時、名付けた名前が「空想雑貨」。


また、当時は代官山に雑貨屋が増え始め、それらananやoliveといった雑誌に載り注目を集めるようになった。しかしそれらの多くは生活雑貨であり、そのことがより神谷氏をファンタスティックな方向へのクリエーションを掻き立ていたのかもしれない。私が思うに、そこには神谷氏の反骨や戦略と言った意識があったのではないのだろうか。


「僕は一番最後発だったのね」

当時の空想雑貨に並べられていたもの、それは*生活的雑貨ではなく、空想的雑貨。例えば恐竜の模型、鉱物標本、ラビットスクーターの本物。これらは全て神谷氏の興味をそそるものであり、その中にはもちろんアンティークトイもあった。そして今ではアインティークトイで知られるこの空想雑貨も当時からすれば、営業を始めるには決して早くはなかった。むしろ最後発だった。




「ウソはキライだ!!」「空想は○か×か」

それでは、最後発の空想雑貨がいかにして、名を上げていったのだろうか。1990年頃、空想雑貨は雑誌に広告を載せ始めた。当時のコピーはこうだ「ウソはキライだ!!」他にも「空想は○か×か」。やけに挑発的でエッジの効いたコピーの意図としては、やはり空想雑貨が最後発であったがために他との差別化をはかり、広告で勝つということだ。神谷氏が以前に広告会社に勤めていたということもあり、広告屋時代にできなかったことを、自身がスポンサーとなったその時にやってやろうと思ったわけだ。


「手法的には広告屋さんが見たらびっくりしちゃうようなことをやってた」

神谷氏の戦略は実にユニークであった。トリッキーという意味でもユニークだったのだが、内容もユニークだった。神谷氏は主に、広告的な手法を取り込んで神谷氏の独自の視点でおもちゃを評価し始めたという。要は「このおもちゃは、こういう会社が作って、ここのデザインがとってもいいんです」と言い出したのだ。当時の人々からすれば、たかが子供のおもちゃなんかに色んなアイディアであったり、営業的な知恵やものづくりの煌き、イノベーションがあるとは到底思っていなかった。それを神谷氏は、どのおもちゃにもコンセプトがあり、ましてや売れているおもちゃには絶対に戦略があると思い、広告でそれを明確にしていった。するとどのようなことが起こったかというと。


「僕が言った商品がどんどんブランド化していったわけ」

その中の一つがマルサン商店という会社だ。神谷氏がマルサンのおもちゃが良いと言えば、みんながマルサン!マルサン!といった具合だったそうだ。それ程に、神谷氏の広告は功を奏し、おもちゃ業界では影響力を持つ人間だったということが伺える。余談だが、近年に及ぶお宝鑑定ブームはの発端は、この神谷氏のアンティークトイ評価のムーブメントから広がっていったという。アンティークトイブームの一躍を担った神谷氏だが、そんな神谷氏の活動のきっかけを尋ねるとシンプルで痺れた。


「この怪獣(おもちゃ)は美しいと言いたかったわけよ」

この絵画は美しい!この音楽のメロディーが美しい!というように、このおもちゃは美しいと言いたかったのだという。当時はきっとこのようなことを口にする者は多くはなかったが故に神谷氏の広告や発言は業界では注目を集め、良くも悪くもアンティークトイはインフレーションした。

「生産数が少ないから高いっていうのは最低の言い方だと思っていたから」

世間は神谷氏の望まぬ方向へと進んでしまった。神谷氏は、アンティークトイの誰も価値を見出さないところに着目し、評価し始めた真意とは、「この怪獣(おもちゃ)は美しいと言いたかった」故であったのに対して、世間は神谷氏が評価するおもちゃに価値があると思い、値段で良し悪しを判断するようになった。きっと不本意だったであろう。


さらには、おもちゃ自体の良し悪しより、生産数が値段の基準となってしまった。「生産数が少ないから高い」これは、マニアやコレクターの視点からすれば大いに結構だが、売る立場の人間までもがこのようなこと言っているようでは全然甘いと。神谷氏曰く、売る立場の人間の在り方としては、おもちゃを正当に評価し、それをパブリックに開示しなければならない。




「パンクだからね、そういう人には売らない」

バブルの頃は、おもちゃを巡っていろんないざこざがあったという。ビジネスライクに神谷氏におもちゃを売って欲しいという人も現れたというし、そんな理屈を言う前におもちゃを売ってくれなんて言われたりもしたそうだが、神谷氏のスタンスとしては「やっぱり一番おもちゃが好きな人にこそ届いて欲しいし、そういった(商業的な)人には売らない」。


また、神谷氏自身も趣味の範囲内でおもちゃ屋をやっているため、こういったビジネスライクなことをあまりあからさまに取り入れたくないと言う。それに、神谷氏には江戸っ子としての、人情で商売をするという信念がある。


「誰か一人ぐらいそういう馬鹿がいてもいいと思うからさあ」

確かに、お金を稼ぐという面では非合理的かもしれないが、結果的には上質な顧客の確保やお店のブランディングにはもっともな王道だと私は思う。何より、浅草で生産されたものを浅草で売るわけだから、浅草のスタンスで売るのがもっともだろう。このような話を聞いて深く感動した。渋谷や青山で商売をしている人と神谷氏は多少ながら違うと本人は言うが、全くおっしゃる通りであった。

そんな拘りが強い神谷氏だから、苦労したことも多かったのではないかと思い、苦労したエピソードについても尋ねてみた。


「名刺は投げ返されるわさあ」

神谷氏は最後発と言うこともあり、日本全国のすでに閉店してしまったおもちゃ屋にまで飛び込み営業でおもちゃを分けて欲しいと頼みにいったのだそうだ。すると、ほとんどの古くからのおもちゃ屋はもうすでに同業者に荒らされてしまったあとだった上に、同業者に荒らされたお店側も神谷氏のような東京から来たおもちゃ屋にあまり良い印象を抱いていなかった。神谷氏にとってはあまり風波の良くない状況だった。


「来んなって意図だったのかもしれなかったけど(笑)」

神谷氏が春先に北海道の閉店したおもちゃ屋を訪ねた時の話だ。北海道の閉店したおもちゃ屋の倉庫に色々なものが眠っているとの情報を入手し、その元おもちゃ屋の店主を訪ねてみたところ、お正月頃にまた来れば倉庫の中を見せてくれるとのことだ。しかし、その倉庫は空港からかなりの距離があったため、豪雪の積もるお正月にその倉庫にたどり着くことなどできるわけなどなかった。


「おもちゃ屋がないないって言ってもあると信じていくわけですよ」

色んな閉店したおもちゃ屋を訪ねた中で、もううちにおもちゃなんかないと店主に言われることもしばしばなのだそうだが、それでもよく探してみると茶の間の片隅とかからほこりをかぶったおもちゃが出てくるという。あるじゃないかと思って店主に聞いてみても店主はこんなものなんかでいいの?と驚かれるそうだ。というのも、店主からするとその時の人気のある売れる商品を探しているのかと思って素直にないと言ったものの、まさか流行遅れの売れ残ったおもちゃを探しているなんて思っていなかったからだ。


「帰りに電信柱に車をぶつけそうになったよね」

そんな中で、東北にある元おもちゃ屋さんの大きな倉庫を訪ねた時だ。その時も店主はうちにおもちゃはないよと言っていたのだが、絶対にあると思い、やっとのことでスケジュールの都合もつけ、さらに倉庫には電気も通っていなかったため車のヘッドライトで照らして中を探すことにした。がらんどうだった。




「やっぱり浅草に帰るんだね」

数々のおもちゃ屋を巡った中で苦労することも多いが、時には努力が報われたともと思えるエピソードもあるという。ある時は神谷氏がとある元おもちゃ屋を訪れた時にそこのおもちゃ屋の店主からどこから来たのかと尋ねられ、浅草から来たと伝えると、店主が浅草で生産されたおもちゃは結局浅草に帰るんだねと言われた時は感慨深いものがあったという。そして、そのときは俺の使命ってこういうことなのかとも感じたという。


「バウハウスの絵、もしくは、ロシアのアヴァンギャルドな建築を見る感覚でおもちゃをみてしまった」

そんなにもおもちゃに情熱を注げる理由とはなんなのだろうか。私は、おもちゃを好きになったきっかけについて聞いてみた。

以前に広告の仕事に勤めていた時、神谷氏はそれにあたって、多くのデザインを見て来たという。多くは美術運動に関してであり、例えばロシアのアヴァンギャルドやイタリアの未来派、シュールレアリズムはやらなかったけどダダイズムは勉強してたという。それも仕事の関係でどういうものが美しいのだろうかということで、神谷氏なりに20世紀前半のアートシーンを研究をしていたのだそうだ。これが神谷氏にとっては、大きくおもちゃに惹かれるきっかけとなった出来事で、どういうことかというとタイトルの通りだ。




「おもちゃが一つのオブジェだと思っていたから」

僕は、最初は神谷氏の年代の方なら、やはりノスタルジーというのがアンティークトイ好きである理由とばかり思っていたが故に少々意外だった。神谷氏曰く、「懐かしという感じもあるが、それ以上にどのアングルだったら最高にかっこよく見えるのだろうか?7:3かな…真後ろかな…真横からかな…。そういう風にクリエイティブディレクターの目で見ちゃうんだよね。」おもちゃに新しい魅力を見出したということなのではないのだろうか。なんだか私がポケモンのゲームが好きな感覚とよく似ている気がする。


「音楽に関してはブライアン・イーノ」

そんな神谷氏の影響を受けた作品とはなんなのだろうか。ブライアン・イーノとはイギリスの音楽家で、ソロの音楽家としてはアンビエントミュージックの先駆者として知られている。神谷氏に言わせると、おもちゃみたいな感じがするのだという。ガチャガチャとノイズがいっぱいで、なんだかプラスチックの破片を吐き出しているかのような音楽なのだそうだ。


「文学はあんまり詳しくないけど、ロード・ダンセイニっていう…」

神谷氏からすれば、プロ中のプロだそう。さらには、全てのファンタジー物語のソースになっているという。この方は、作家であり、イギリスの軍人であり、貴族であり、チェスの名手というエリートであった。しかし面白いことに彼は、教科書や文学史に名前を残すような人ではないという。神谷氏は彼の生き方に惹かれる部分はあったという。


「美しく勝て、そういう美学が好きだね」

そして、神谷氏はサッカーもお好きだということで、ヨハン・クライフにも影響を受けたという。ヨハン・クライフとは20世紀のサッカーの父でありカリスマ的な監督なのだそうだ。そんな彼は美しく勝てと言っていたという。これは神谷氏曰く、神谷氏の商売にも通ずることで、ただ売ればいいってことではないみたいだ。


「遊びのデザインなのかな」

続いて、神谷氏に昔のおもちゃと今のおもちゃの変化ついて伺って見た。神谷氏は昔のおもちゃをクラシックなおもちゃと呼んでおり、それは簡単にどういうものかと定義するとガンダム(1980年ぐらい)以前のおもちゃということになる。それに対して、それ以降のおもちゃはフィギュアと呼んでいる。そしておもちゃにも時代があり、今はフィギュアの世紀に突入しているらしい。

この二つを比べた時、神谷氏曰く、おもちゃは基本的に変わってない部分もあるが、遊びのデザインについては大きく変わったという。神谷氏にとって魅力を感じるのは遊びのデザインであり、それは子供達に遊んでもらうためのアイディアが形であったり、色味であったり、ギミックに表れている、更に言えば「ちょっと面白いもの」をつくる精神のことだそうだ。そしてクラシックなおもちゃにはその傾向が強いという。




「遊びの要素をほとんど考えてないかな」

クラシックなおもちゃには色んな表現方法があった。誇張されたり、デフォルメ調であったり、そんな中にリアルなのもあった。実に様々なアイディアがあり多様的だったのに、今のおもちゃは「リアル一辺倒」だという。就いては、似てなければ失敗作であり、それは世に出せないものであると。そこには版権の問題もあるかもしれないが、要するに神谷氏の言いたいことは表現方法がワンパターンになってしまって面白くないということだ。

更には、クラシックなおもちゃは昔の子供達が公園や友達の家に持っていって、おもちゃと一緒に遊ぶという感覚が強かったが、それを今のフィギュアに置き換えてみると、リアルに作られたがちがちのエヴァンゲリオンのフィギュアを外に持ち出すなんてまず考えられないと言うことだ。おもちゃというのは遊ぶという概念から飾るという概念へと変わりつつあり、それについて神谷氏はこう言う。


「おもちゃ的には危機的な状況」

ならば今後のおもちゃ業界の未来は暗いのだろうか。流行にはサイクルがあるように今のおもちゃに昔のアイディアを取り込んだり、もしくはクラシックなおもちゃが再評価されたりすることがあるのだろうかと思いこの旨を訪ねて見た。すると非常に興味深い話が伺えた。


「レゴとポケモンGOの事件」

最初聞いた時はあんまりぱっとしなかったが、理由を聞いてしみじみと納得した。まずはレゴについて、レゴは今や世界2位と言われている大手おもちゃメーカーだが、そんなレゴもある時は倒産寸前にまで追い込まれた時があった。その時どうやってのし上がったかと言うと、それはレゴのスターウォーズシリーズだと神谷氏は言う。これだけを聞いてもまだぱっとしないだろう。要するに、スターウォーズという世界的ヒット作をレゴといういびつでリアリティのないおもちゃの世界観に落とし込んだことだ。そして、そこがうけたのだと神谷氏はいう。

神谷氏の話を要約すると、現にフィギュアの世紀になってスターウォーズともいう大ヒット作のおもちゃが似ていなかったら、問題であるはずなのにも関わらず、レゴはその意外性が新しいメロディーに聞こえたということだ。


「中高年は遊びを知っているんですよ」

さて、ポケモンGOについてはどういう見解を見せてくれるのか。ポケモンGOがリリースされ一年少しが経った今、色んな分析がなされ、結果としてわかったことは、プレイヤーの多くは中高年であったこと。なぜ中高年が多いのか。神谷氏の見解によると、中高年は外の遊びを知っているとのことだ。対して若者はゲームを家の中の遊びだと思っていると。幼少期にかくれんぼや縄跳びなど外で遊ぶことが多かった中高年は外遊びが得意であり、Niantecが仕掛けたADVENTURES ON FOOTに見事にはまり、ゲームは若者の遊びだと思っていたのが、思いも寄らない購買層が生まれたのだという。そして、それはNiantecが意図的に仕掛けたことであると。


「遊びの王道に戻ってる」

面白いことに、神谷氏の話を聞いていると中高年と若者のゲームに対する意識にも違いがあるようだ。我々、若者はゲームというもの早く上がろうとする傾向があるのに対して、中高年代は早く上がって終わりという発想はなく、いかに長く遊ぶかということを考えているという。そうなると、若者の遊び方というのはどうしても一方向であり、中高年代の遊び方の方が充実しているとも言える。そしてポケモンGOは遊びの王道を再定義し、中高年代のハートを掴んだとも言える。




「ロックを忘れないでほしい」

神谷氏はそんな同世代である中高年に物申したいことがあるという。それはロックの魂を忘れないでほしいということだ。神谷氏曰く、大人になったからこそロックであるべきだという。そしてかっこいい大人を見せるべきだと。同世代の大人は人を騙したり、人を虐めたり、商業的になりすぎたりと全くロックじゃない。それでもウッドストックフェスティバルに行ったり、ボブ・ディランを聞いたり、プロテストソングも立派に成立していたというのに、それらを洒落で聞いていたのかと尋ねたいという。神谷氏は、同世代が当時ヒット曲を聴いて、それを懐かしいで終わらせてしまっていることが悲しいと言った。


「だから、社会がこの有様になっていると思うよ」

また、会社をリタイアした同年代の人がカルチャースクールに通ったりしているのを見ると本当に情けないと思うという。それを神谷氏は会社人間になりすぎていると示唆する。そして神谷氏が同世代を代表するかのように言ったことは、「若い世代に負の遺産ばっかり残しちゃって、俺ら本当に申し訳ないと思うよ」とのことだ。そして同世代には自由なクリエイティブのために戦ってほしいという。

あれだけいかにも活気があった数十年前の時代を過ごし、今の日本の社会を築き挙げた中高年の世代を悲観する神谷氏の話を聞き、我々今の二十代、三十代が神谷氏の年齢になった頃には果たして、今の中高年代の方々に肯定されるような未来像が想像できるかというといささか難しいと思い、私は綺麗な相槌を打てなかった。


「20世紀初頭のバウハウスといったムーブメントを研究してほしい」

反対に若者に対してはどのように思っているのだろうか。具体的に今の若者に望むことは、バウハウスを研究してほしいとのことだ。バウハウスとは何か、それはドイツで設立された世界最初のアートスクール。

バウハウスとは、1919年、ドイツ・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた。(Wikipedia参照)

なぜ、神谷氏はこのとある一時代のアートムーブメントを我々若者に推すのだろうか。このことに関して具体的なことは聞いていないが、きっと、神谷氏が思う将来の生活を豊かにするヒントが隠されているのではないのだろうか。それにバウハウスのムーブメントは今日のデザインにも息づいている。キーワードは「合理主義的・機能主義的な芸術」。神谷氏がApple製品を気に入っていた理由がよくわかる。少々話が飛躍するかもしれないが、私はこれは今後近い将来の多くのデザインのスタンダードになり得るものをこっそり指南しているようにも思える。私の考えすぎであっても、これを神谷氏のすヽめと信じて、サブカルトーキョーのユーザーに広めたい。


「時の休息場所」

最後に神谷氏から一言頂戴して我々は空想カフェを後にした。

*…神谷僚一氏執筆 星雲社「ガンタマ」一部抜粋



ライター:おーちゃん
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